私たちが家庭をつくった頃は、容易に手伝いの人をたのめたが、今はなかなかできない。しかし料理などは、外から帰ってすぐ煮られるように前から準備したり、何日分かを一度につくって冷凍しておいたり、あるいは夫も子どもも皆家事協力で、それぞれの時間の空いているときを利用した当番制をつくってもよい。夫の父は明治育ちの合理主義者で、こんなことを言ったのを覚えている。「食事の時間が惜しい。何か栄養素を丸薬にして、飲み下せばいいような食事ができないものかしら。そうすれば家のものも料理づくりの時間が浮く」。医者であって、また研究者であった。夫も妻も仕事を持っている家庭で、こんな例を見たことがある。洗濯物は夫が洗濯機へ入れて、干すのは妻がやる。ところが夫は大変仕事が忙しい。洗濯が山と積もっている。妻は、私は干すだけの人だから洗いません、と言って洗わないでいる。そこの家に小学生の女の子がいて、私が洗うと言って洗濯機を回して洗い、夫も妻もつい顔を見合わせてしまった、微笑と共に。近ごろは、女の子でも、お人形遊びやおままごとなどはしないらしい。その代わり、学校の給食室への出入りで、おばさんたちが盛大に料理をするのを見て、男の子でも自分でやってみたくなることがあるらしい。料理店の板前は男である。洋服の仕立て人も男である。料理や縫製を専門職とすることができるほど、男にはそれらの才能がかくされているのかもしれない。医者であった私の亡兄は、往診の患者の家でもらったソバ粉で、おいしいソバを打ってくれた。うどんづくりも上手であった。茶の間のテーブルを台にして粉だらけになって、仕上がるまで、看護婦も手伝い人も、母も兄の妻も私も、兄を取りまいて感心して見ていた。おつゆも自分でつくった。貿易商社につとめていた亡弟は、おかゆをつくるのが好きで、海外の支店にいたとき、日本人の旅行者を招いて、よく御馳走した。包丁を持たせるのがあぶないなどと言わず、あぶなくないように教えて、男の子にも女の子にも料理づくりを手伝わせたらよいと思う。あるいは子どもの方が母親よりおいしいものをつくるということになるかもしれない。結婚生活の中では、理想と現実の合わないことがいくらでもある。結婚生活を続けたかったら、柔軟な態度でその場その場に臨機応変の処置をとること。素早く自分の考え方を変えてゆくこと。自己主張の強いひと、自説を固持するひとなどは、とかくもめごとを起こす。周囲との適合を考えたら、やっぱり自分を変改させてゆかなければならない。結婚生活を永続させるためには、いい相談相手を持つのも一つの知恵である。先輩でも親戚の中の一人でもいい。私はこういう言い方をしたけれど悪かったかしらとか、私はこうしようと思うけれど悪いかしらなど、一人で悩むよりも、第三者の判断を聞く。そのためにはまた、すぐ他人にあれこれ誇張して告げるようなひとは選ばないこと。
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