デューイの子ども中心の教育観は、後に「経験」という概念を付け加えることによって補強されていくことになる。その経験とはどういうものかというと、デューイは教育の過程と実際の経験の間には、親密で必然的な関係があると説くが、すべての経験が教育的であることはなく、経験の質が問題となるという。つまり、次に展開する経験の成長を阻止したり歪めたりするような影響をもたらすものは非教育的な経験であり、子どもの感受性を欠落させ、物事に反応しない状況を生み出す可能性がある。それに反して、教育的経験とは、子どもの身体的・知的・道徳的な成長を促進するもので、学問的経験や社会・産業や公共生活の倫理との連続性を持つものでなければならないのである。このような教育的経験を子どもに経験させるためには、教育者の果たす役割が重要なものとなる。つまり、教育者は、子どもそのものを熟知するとともに、子どもの経験がどのような方向に向かっているのかをしっかりと見きわめていなければならないということになる。また、人間は、外的な環境との間に相互作用を営み、その作用を自己の成長に利用しながら生きているが、同時に、環境に能動的に働きかけ、その作用により経験したことを、次の経験に貢献するように自己に新たに付け加えていくことができる。このような経験の相互作用を遂げるには、この場合にもやはり、教育者側からの働きかけが必須のものとなる。つまり、子どもの興味や能力などという内的な要素と外的な刺激が絶えず与えられている環境との相互作用が遂げられるように、環境を準備してやらなければいけないのである。このような連続性の原理と相互作用の原理の二つが、経験を構成する原理の必須の要件として挙げられている。デューイの教育とは、未熟な経験をオキュベーションを通じて、知的な技能と習慣を蓄積した経験へと継続的に再構成することであり、民主主義社会の担い手となる子どもたちが過ごす学校は、社会を映す鏡であり、民主主義社会を発展させるために媒介とならねばならない機関だったのである。
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